ムジカとは、今日本で一番売れているアカディミックな音楽哲学書『のだめカンタービレ』によると
音楽のことでミュージックの語源だそうです。「ムジカ」は古代ギリシアではハルモニー(→ハーモニー=調和)の根本原理そのものを指すらしいですね。
「神様は世界を素晴らしい調和(ハルモニー)で創りあげた。そしてその調和の根本原理は数の関係によって成り立っている」
と彼らは考え、数の関係から成り立つ調和というものを探求していくとにより、世界の真理にたどり着けるという思想を持っていた。
そこでは世界の真理を追究するための学問というのが4つあって『クワドリヴィウム』と呼ばれたそうで、それは今で言う
天文学、幾何学、数論、
そして音楽であったそうな。
と、いうことで
のだめのように日本で奔放にそのタクトを振るオシム爺さんの奏でるオシムジカ。
今回のペルー戦には中村俊輔、高原直泰の海外組を召集しました。結果は御存知の通りでしょうからあえて当オシムジカでは説明しません。試合評もいろいろな高名な人たちがいろいろ言ってますのでその通りだと思います。(笑)
今回その中でも特に僕が関心を持った批評が
後藤健生氏の『俊輔には(チームのやり方にとけ込めない)「異質性」を強く感じた』と言う部分です。まあ初めてだから当り前なのですが、強く思ったのはオシムの思想の部分のところでしょうか。ジーコ 前 日本代表監督が海外組というオールスター選手を集め愉しいサッカーを標榜し目指したのに、結果的にはそれが裏目に出て個性が調和せず息苦しい内容と悲惨な結果を生み出したこと。それがドイツの結果でした。
オシム 現 日本代表監督はジーコとは真逆の論理構築でチーム作りをしてますよね。選手の個性が調和することこそ、愉しいサッカーとそれに見合う結果が付いてくるのだと。将にオシムの勝利の哲学というかアンチテーゼを世に問いかけているような気がしました。
まあ、ジーコのオールスターの選択が全て悪い訳ではないのは分かっています。選手も上手い人、レベルの高い欧州で活躍している選手を選ぶのもある意味 正しいと思う。
でもそれだけではないはず。
サッカーは11人のスポーツ。やっぱり調和が一番なのだ〜〜ですよ。
ペルー戦、俊輔・高原が活躍して「すげーいい試合だった」と諸手を上げて持ち上げられない理由はそこにあると思います。
今回の試合、今まで国内組でオシムジカを熟成してきた代表組が潜在意識の日本的ヒエラルヒーに囚われ、突然やってきた欧州組に全て下駄を預けちゃった感があったしね。もちろん初めてだし顔見せ試合だし、お客さんに花を持たせるのは当たり前なのですが、
あえていうなら問題(心配?)はその次でしょう。
人の良さそうな若い人たちが欧州組マンセー状態にならなければいいなと思う。そうなったらそれはジーコジャパンの劣化版でしかない。11人一人一人が頑張って調和するからこそ強いのであって、カリスマ選手にお任せになったらもうそのチームはお終いだからね。
まあ、そんなことオシム爺さんは百も承知のすけ、言わずも我那覇、ですよね。
これからは、どんどん選手を入れ替えてチームを熟成させ調和させる。それがこれからのメインテーマになるのでしょうか?
オシム爺さんの抜擢してきたオタマジャクシたちはオシムの引いた五線譜の上でどう踊り出すのでしょうか?オシムジカはやっと第二楽章を奏で始めた印象です。
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